冬の前に

十番稲荷で熊手を一つ 季節の断面図  #001

十一月の終わり、街に漂う空気がひときわ冷たくなる頃。

神社の短い石段を上りながら、私は冬の気配を胸いっぱいに吸い込んだ。

福をかき込む熊手に願いを託すこの日、年の暮れがすぐそこにあることを、私は改めて知らされる。

十一月の「酉の日」に催されるこの祭りは、商売繁盛、無病息災を願う日本人の粋が息づく行事だ。

浅草・鷲神社や新宿・花園神社の賑わいは名高いが、ここ麻布十番にも、ひっそりと、その香りがある。

十番稲荷神社は、六本木の喧騒と隣り合わせながら、急な石段の上に、こぢんまりと佇む。

石段を上りきると、鈴の音が冬空に小さく響き、冷えた空気を震わせる。

熊手の意味と、粋の美学

竹の骨に縁起物をあしらい、小判や米俵、鶴亀に打ち出の小槌‥‥

一つひとつに、豊穣と長寿の祈りが込められている。

神社の熊手は、決して大ぶりではなく、一つ千円の、掌に収まるほどの可愛いさ。

けれど、その素朴さと飾り過ぎぬ美しさに、庶民に寄り添う慎ましさが滲んでいる。

浅草の市では百万円を超える熊手が飛ぶように売れるという。

景気を占う鏡のような光景だが、ここでは違う。

熊手を求める人々の顔は、どこか柔らかく、「来年も笑って暮らせますように」その一言に尽きる。

「三の酉」の年は火事が多い─ そんな言い伝えを、誰がどれほど信じているのか。

それでもかまどを守ること、家族を守ることが、脳裏をよぎる。

それは昔も今も変わらぬ年の瀬の務めだ。

黄昏に包まれた麻布十番商店街では、縁日の灯りが揺れ、間近な冬の空気に焼きそばの薫りが漂う。

私は熊手を片手に、冬の入り口を踏みしめていた。

「かっこめ、かっこめ──福よ来い、はぁやく来い」

心の中でそうつぶやきながら。

季節は巡る。

まもなく年の瀬を迎えるこの瞬間に参拝者は、何を「かっこみたい」と願うのだろう?

By  皆戸 柴三郎

※本記事は2024年12月に掲載したものですが、今回ブログの全面改装で再編集、再掲載しました。

 

次回のブログ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です