百歳人生の心得帖・第二帖

その四からその七まで 百歳人生航路 #011

百歳人生心得帖の第二回目は、十箇条のその四からその七までを解説します。

いずれも人生航路に必要な心得となります。

お金は人間界で大切、かつ便利な道具です。

買い物も、衣食住も、移動も、お金で解決できます。

しかし万能ではありません。

それに頼りすぎれば、思考は鈍り、体は怠け、心は荒れて行きます。

だからこそ大切なのは──「金より頭を使う 体を使う 気を遣う」という心得です。

頭を使うとは、過去や他人に頼らず、今を見つめ未来を描くこと。

マスメディア情報だけに頼らず、自分の探求心で、思考は磨かれ、深くなります。

その思考力こそ百歳人生の燃料となります。

体を使うとは、意識的に動くこと。

歩く、掃除する、料理する──いずれも“生きるための技術”であり、心も整い、思考も活性化し、感情も安定します。

気を遣うとは、相手の立場に立ち、言葉や行動を選ぶ“配慮の知性”です。

それは形式的な礼儀でなく、心の奥からの思いやりの表現であり、百歳人生を豊かにする潤滑油となります。

金は使えば目に見えて減ります。

しかし頭は使えば冴え、体は動かせば全身が整い、気は遣えば人間関係が円滑になります。

これらは老いてなお磨ける力であり、尊厳を守る柱となるのです。

人生の後半で最も大切なのは「自分の願いを知ること」です。

「やりたい」は衝動、「こうありたい」は理想、「そうなりたい」は未来の設計図。

この三つを言葉にすることで、人生は他人任せでなく、自ら描くものになります。

年齢を重ねると「もう遅い」「今さら無理」と思いがちです。

しかし百歳人生では、今こそが“始まり”となることもあります。

「やりたいこと」は若者の特権ではなく、むしろ後半の人生こそ経験と知恵を生かした“本物の夢”が育つ時期なのです。

「こうありたい」とは他人の期待に流されず、自分の美学を貫くこと。

「そうなりたい」とは現実に流されず、未来を自ら創る覚悟。

この三つの言葉を心に持つとき、人生は過去の延長ではなく、新しい航海として動き出すのです。

後半の人生ではつい「貯めること」「残すこと」に執着します。

物を増やし、金を残し、記録を積む──それは安心のための行為に見えます。

しかし百歳人生に必要なのは逆で、「手放すこと」「減らすこと」「身ぎれいにすること」なのです。

「もう貯めるな」とは、所有の執着を手放すこと。

必要以上に持つと心は重く、動きは鈍ります。

「残すな」とは過去のこだわりを断つこと。

思い出や記録に縛られず、今を生きる姿勢です。

「身ぎれいに」とは物理的にも精神的にも余計を削ぎ落とすこと。

それは死に向かう準備ではなく、生きるための整理です。

身ぎれいに生きるとは誰かに見せるためでなく、自分のため。

軽やかに動き、すっきりと考え、穏やかに眠れる環境を整えることです。

その環境こそ百歳人生を美しく、誇り高くする土台になります。

「もう貯めるな 残すな 身ぎれいに」

──これは人生の最終章を美しく締めくくるための知恵であり、未来を軽やかに迎える準備なのです。

百歳人生は長い旅路。

時に私達は、焦り、飽き、諦めに襲われます。

しかし心得るべきは「焦らず 飽きず 諦めず ただ見切り千両」。

「焦らず」とは他人の時計でなく、自分のペースで生きる自由。

「飽きず」とは繰り返しの中に新しい発見を見いだす感性。

「諦めず」とは困難に直面しても希望を捨てない意志です

加えて「ただ見切り千両」。

これは執着を断ち切る知恵であり、続けるものと手放すものを見極める判断力です。

見切りとは諦めではなく見極める温かい決断であり、自分の命を尊ぶ覚悟です。

「もう十分やった」と思えたとき、それは次の航海に進む最上の準備となります。

仕事、関係、習慣、価値観──後半の人生では幾度も見切りが求められます。

その力こそ人生を軽やかに、誇り高く進める知恵です。

「焦らず 飽きず 諦めず ただ見切り千両」──この四つを胸に抱けば、

波風の中でも沈まず迷わず進み続けられるのです。

次回は、心得帖の最後、第三帖として十箇条のその八からその十を解説します。

未来への百歳人生の航海を無事に進め、大いに楽しむための十箇条。

役立ててください。

 

By 百瀬 代次郎

本記事は、2025年1月執筆ですが、ブログの全面改装で再編集しました。

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