ムダでつまらんTVを駆逐しよう!

テレビ業界人はみんな心身耗弱状態か? 社会科見学会 #003 

本ブログでは、現在のテレビ業界の退廃ぶりを糾弾する内容です。

多少、怒りに任せた語調と表現ですが、テレビ業界の再生を僅かでも願う者の独白です。

かつて「お茶の間の王様」と呼ばれたテレビ。

その王冠は今、埃をかぶり、玉座は空席のまま朽ちつつある。

その原因は根深く、絶望的だ。

多くの人がもはやテレビを観なくなったのは、あらゆる番組が「面白くない」からだ。

この感覚は個人的なものではない。

世間一般に広がる“テレビ離れ”という現象は、もはや常識化している。

CS放送を例に挙げれば、その番組ジャンルは実に多岐にわたる。

ドラマ、芸能バラエティ、ワイドショー、スポーツ、ニュース、音楽、映画、ルポルタージュ、教養、教育

── だが、視聴率競争の主戦場は、ドラマ・芸能バラエティ・ワイドショーの三者。

そして皮肉にも、これらがテレビの“面白さ”を最も蝕んでいるのだ。

視聴者の熱気は消えた。

ひな壇芸人が内輪で騒ぎ、タレントがいかにも専門家ぶって語り、報道は忖度と偏向とヨイショのオンパレード。

CMはやたら多く、番組の実質時間は3分の2以下。

──これが「一家団欒」の娯楽の現実か?

ブルーパワー.コムの記事より拝借転載しました

かつてのバラエティは、罰ゲーム・ドッキリ・暴力的演出で笑いを取っていた。

だがそれは、いじめの構造と何が違う?

失敗者をあざ笑う「笑い」は、果たして文化か、病理か。

小学校でいじめられる子を皆で無視し、あざ笑う

── それと何が違うのか?

テレビは、そんな“笑い”を「娯楽」として家庭に流し続けてきた。

それは、衆愚化の装置であり、道徳の破壊者と言っても存外間違いではあるまい。

BPO規制で過激演出は減ったが、品位なき番組は淘汰されるべきだった。

──それを「面白くなくなった」と嘆くのは、視聴者の劣化か、業界の怠慢か。

「視聴者は神様」から「スポンサーこそ神様」へ。

広告費の減少 → 番組予算の縮小 → チープな内容

→ 視聴者離れ → さらに広告費減少。

このスパイラルは、テレビ業界の“自壊”を意味する。

日本経済の鈍化は、スポンサー企業の広告宣伝費を削る。

「交際費・交通費・広告宣伝費」の、いわゆる3K予算は真っ先に切られる。

民放各局は、スポンサー離れを防ぐためにCM枠を増やし、番組内容に口出しを許す。

──こうして、冒険心豊かな番組作りは“おとぎ話”となった。

BS放送も例外ではない。

通販番組だらけ、韓国・中国ドラマの氾濫

── 視聴者ニーズではなく、制作費の安さが番組を決める。

それは“放送”ではなく“投げ売り”だ。

「なぜBSは通販ばかりなのか?」と問えば、「貧乏だからだよ。スポンサーが金を出さないから」

とTV通がしたり顔で答える。 ──それが現実だ。

では、視聴者はどこへ行ったのか?

答えは明白だ。YouTubeである。

NTTドコモの調査によれば、YouTubeの認知率は96.5%、利用率は67.7%。

10代〜30代では約8割が利用し、60代でも約6割が視聴している。

テレビは、新聞と同じ道を歩んでいる。

SNSの海に確実に沈みゆくテレビ。

だが、SNS漬けの国民が増えれば、それはそれで別の地獄が待っている。

YouTubeは、好きな時間に好きな場所で好きなだけ視聴できる。

しかも原則無料。

さらに多様。加えて双方向。

テレビが持っていた“権威”は、もはや幻想だ。

また、テレビ局はYouTubeの素材を臆面もなく“ネタ元”として使い始めている。

SNSで話題になった世界中の動画を切り貼りして番組化する。

──それは、“模倣”であり、痴呆であり、阿呆の成せるワザである。

報道機関としての孤高性も、文化の創造性も喪失した電波の垂れ流し箱でしかなく、結果、恥も外聞もありはしない。

実際、TV(CS放送)の視聴率は下図の通り年々低下の一途をたどっているようだ。

↑ 主要局年度世帯視聴率推移(Yahoo!ニュース/2022.11.20版より引用転載しました)

にもかかわらず、観てもいないNHKに高額な受信料を払う──この不条理。

NHKの支払率は全国平均で約73.5%。

だが、契約していない者には、裁判で契約を強制し、過去分の受信料を遡って請求するという最高裁判例もある。

──これは、“税金”であると言っても間違いではなかろう。

ならば、月間視聴時間に応じた従量制にすべきでは?

「テレビは公共財」などという建前は、もはや今の時代に通用するはずがない。

戦後70年の一方通行の押し売りメディア構造を、今こそ抜本的に見直す時だ。

朝から晩までテレビにかじりつく人もいれば、天気予報しか見ない人もいる。

民放オンリーもいれば、ショップチャンネルオタクもいる。

CS、BS、何を観ようと自由だ。

だが、その“自由”に応じた“課金”こそが、公平ではないのか?

テレビは死んだのか?

それとも、再生の余地があるのか?

答えは、まだ出ていない。

だが、少なくとも今のテレビは、 「面白くない」「品がない」「創造性がない」「誇りがない」

── この“四ない”状態にある。

テレビ業界人は、心身耗弱状態か?

それとも、スポンサーの奴隷か?

あるいは、視聴者の知性を侮る者か?

筆者は、立花孝志氏率いる「NHKから国民を守る党」とは全く無縁である。

だが、テレビというメディアの未来には、きわめて絶望的な懸念を抱いている。

その反面、再生の可能性も捨ててはいない。

─テレビよ、もう一度「王様」に返り咲く気があるなら、 まずは“魂”を取り戻せ。

By 参禅寺 源吾

本ブログは、2024年2月9日に掲載したものをブログ全面改装のため再編集しました。

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